しめえいがでした

「ラ・メゾン 小説家と娼婦」を見た。

2023年のシメ映画はこれでした。大晦日に見てきた。紅白までに家に帰りたくて、これしか時間が合わないのでよく内容は分からずに見たのだけど、予告も見たことなかったし。いやいや、これがなかなか考えさせられる映画でした。ひと言で言うと「言語化」の危険性ですかね。よくわからないですよね。でもそれを感じたんですよね。映画自体はものすごくフェアな映画という印象でした。なんというかものすごく公平な職業としての娼婦というものを描いた真面目な映画に思えた。この主人公が不思議な人で、それほど売れていないし自分にあまり自信がない小説家で、次作の取材として娼婦を体験しようと、異国の高級娼館に潜入する。取材として体験するつもりが、いつしかその職業に喜びを見出していく。この職業こそわたしの仕事なのもしれないという思いが湧き立ってくる。男の人に喜びを与えることが自分にはできる、その瞬間わたしは男の人を支配しているのだと。これは自分にとっての天職なのではないかと思い始める。娼婦が職業として蔑まされていることに不満を感じ、付き合い始めたばかりの恋人には「自分は娼婦であり、その仕事に誇りを感じている」とすぐに打ち明ける。実にフラットに、冷静にその仕事の良さを言語化する。彼女は言語にすることで、そこに答えを見つける。娼婦という仕事に理解を示さない妹にも正当性を説く。これが実は怖いことなんじゃないかと、そう思えた。職業を否定するわけではない。ただ、主人公自身が自分でわからいうちに自己を崩壊させていてたことにある日気がつく。真実と思っていたそこには大きな矛盾があって、娼館で働く女性たちはお互いの本名を名乗らない。誰も本心は語っていなかったことに気がつく。そこは虚構の世界だった。小説という虚構を生み出すために、虚構の渦に飲まれていく。そういう映画に見えた。なかなか考えさせられる締めくくり映画だった。

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