これはもしかして

「PERFECT DAYS」を見た。

わたしのためにつくられた映画かと思った。私にとって特別で格別で完璧な、これが見たかった映画だった。そう思った。わたしがはじめて書いた本。書きながら自分の中で固まってきたこと、全体を通して、そして本の最後に言葉にして残したかったこと。それがすべて描かれている映画だった。私が書きたかったことがそのまま映画になっていた。言葉を超えて、言葉ではなく、もっと直感的に感覚的にそれが伝わる映画だった。毎日、決まったことをただ繰り返す。起きて植物に水をやり歯を磨きひげを剃り、玄関を出て自動販売機でコーヒーを買い、車のエンジンをかけ聞くカセットを選び、仕事場へ向かう。トイレ掃除の仕事。小さな仕事だ。むしろ見えない仕事だ。そんな仕事をいやいや、やってない。淡々とでも懸命にていねいにこなしている。どんな小さな仕事でも自分の頭で考え工夫しやり方を考え道具を自作し、求められている以上のことをする。これこそが仕事のあり方だ。毎日同じ場所の写真を撮り、風呂に入り食事をし本を読み、寝て夢を見る。この繰り返し。一見、単調に思えるこの日常がいかに豊かで、変化に富み、喜びに溢れているか。満ち足りた暮らしというものではない。でも幸せがそこにある。変化がそこにある。日常の繰り返しとは、つまり変化なのである。それに気づく人は幸せな人なのだ。他人が見てどうこうじゃない。自分がどう思うか、それだけが人生だ。わたしが本を書きながら最後まで探していたものはこれだった。小さなことを繰り返す、そしてその中の変化に気づく、それは幸せに生きる、小さな幸せを見つけるための行為だということだった。繰り返しはまんねりではない。毎日はつねに新しい。同じように日常を規則正しく繰り返すことで、じつはそのことに気づくことができるのだ。それこそが「続ける思考」というものなのかもしれない。見終わって、平山は自分だと思いながら、感動ともつかない、この映画が自分の一部になってしまったような不思議な感覚になって、しばらく何も考えられなかった。一晩たってじわじわと自分の中でこの映画が広がっている。また見たい。でもすぐには見たくない。しばらくは昨日見たこの映画を自分の中で熟成させたい。これはもしかして生涯の一本の映画に出会ってしまったのかもしれない。

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