ゆかたないろあい

「窓ぎわのトットちゃん」を見た。

ゆたかな映画だった。ほんと、なんてゆたかな映画なんだ。見ている間、心にあふれてくるのは、ああ、ゆたかな瞬間だなーという喜びだった。原作はこの間読んだばかりだ。原作ではトモエ学園の教育方針のゆたかさがメインで描かれていた。映画版でももちろんそれは描かれているが、それより強調されているのが、文章では描ききれない日常の小さなディテールや生活感、街や空気の彩り、そして子どもの想像力の豊かさだ。朝の食事風景のこれが本当に戦前の日本?というほど西洋的なトーストに目玉焼きの暮らしぶりは恐らく裕福な家庭だったからだろうけど、そのきめ細やかな描写が現実感を持ってそこに描かれるし、街並みに描かれる風景の美しさ、商店の前に置かれたキャラメルの自動販売機、かつてあったゆたか日本がそこにある。水彩画のようにパステル調に彩られた町並みの美しさ、そして突然子どもの頭の中を映像にしたようなカラフルで実験的な映像が飛び出してきて、教室の中がプールの中がいきなりファンタジーに転じる。なんてゆたかな色彩、そしてゆたかな映像表現の自由さ。そしてもう一点、映画で強く強調されるのが、原作ではほのかに感じさせるくらいだった戦争へ向かう足音だ。それが映画版では色濃くしっかり描かれる。日常が次第に影を落とし、違う世界に変わっていく様子を、背景やモブの動き、画面の隅の方にいる人の表情などで描いていく。不穏な戦争への予感。これこそがおそらく今の世にこの作品を映像として甦らせた意義なんだろう。知らぬ間に小さな変化が積み重なって、いつのまにか後戻りのできない世界になっていく。ゆたかな日常の色合いは、ある日気がついたら色を失っているかもしれない。小さな変化を見逃してはいけない。そのために映画を文学を本を美術を見ないといけない。世界の彩りやグラデーションを感じ続けなければいけない。世界に溢れるゆたかな彩りを忘れてはいけないのだ。

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