ふるいにんげんで

相変わらず余計なことをしていて映画に行けていない…時間があと1日5時間欲しい。と言って5時間増えたらまた余計なことをして時間を使ってしまいそうな気がする。写真展が近づいているので、写真のプリントをしたり、もろもろ作業をしている。けっこう面倒な作業としてホームページを作るという作業がある。23年前に作ったのと同じ方法で、同じ技術で、いまだにhtmlで作っている。そこにこだわりがあるかと言えば、特にないのだけど、1年に1回の作業なのでどちらかといえば、儀式としてやってるのに近い。とにかくローテクな作業なのでたとえば画像を貼り込むのだけでも面倒で、noteで画像を貼り込むようにただドロップすればそこにすっと画像がはいるということもなく、まずはサイズをきちんと整えて保存、ファイル形式はきちんとJPGに書き直して、そしてファイルをディレクトリから選択して取り込んで、さらにサイズも数値を打ち込んで、と一応HPを作成するソフトで作ってはいても文字サイズもきちんと指定しないと崩れるし…単純なページを2ページ作るだけなのにやたらと手間がかかる。さらにHPのサーバーにFTPでファイルをアップする作業も年に1度くらいしかやらないことなので、アップしようと思ってもサーバーにつながらないなんと事が起きる。知らないうちに、サーバーの仕様が変わっていたらしい。そしてプロバイダーからの要請でこちらのパスワードも変わっていたらしい。そのことをすっかり忘れていた…というか、仕様が変わっていたことに関しては知りもしなかったので、サーバーにつなぐという作業だけで、かなりの時間が溶けてしまった。そんなこんなで悪戦苦闘して、愚にもつかないローテクな23年前からほぼ仕様が変わらない「写真展のホームページ」を何時間もかけて作ったりしている。恐らくそこに何の意味もない。べつにローテクにこだわっているわけでもない。だから、そろそろ仕様を変えようって思う。でもなんとなく、変えちゃいけないもののような気がして、いや変えるのが面倒なだけなのかもしれないけど、今年も「つい」例年のやり方で作ってしまう。これが余計な事の正体の一部だ。こういうことをたくさんしているのだ。ふと自分がアムロの父のテムレイのようになってはいないか…と思うのだけど、そういえばファーストガンダムの時のテムレイって何歳だったんだろうか?アムロが15歳、とするとわたしよりきっと年下だったのだろうと思う。…そしてこんなことをつらつらと書いて更に時間を溶かしている自分がいる。何をしているのだ。

というわけで作ったオールドスタイルのホームページです

shimpachi.sakura.ne.jp

げつようなんです

月曜なのでnote書きました。クソ暑い上に、クソ忙しいです。この週末は映画にも行けませんでした。あ、「ちいかわ」二回目には行きましたが、あとは見れなかった。どうしてもみたい映画があって、それだけは行きたかったんだけど、チケットがソールドアウトだった。上映回数が少なすぎる問題ですね。で、何をしてるかというと無駄なことばかりをしています。本当に無駄なことをしています。たとえば先週noteに書いた短歌についての記事は、先週入稿予定だった今年の写真集の冒頭に載せるための文章の下書として書いたんですが、noteに3000字近く書いて、そこから削ってまとめて実際誌面に入ったのは300字でした。レイアウト的に誌面に入る分量はその程度だった。それが分かってたら、書かなかったのに…。順番を間違えてるんですよね。先にレイアウト組んでから文章を書けば、必要文字数の10倍も書かないですんでわけだ。ようは、事前に「考える」がわたしはとことん苦手だ。それは相変わらず変わらないのだけど、いい加減非効率が過ぎるなといつも思う。いま書いてる原稿についても同じで、3回くらい書き上げたはずなのに、で、これでいい!となったはずなのに、またイチから書き直している。これがもう書き直すのは最後だと思っている、というか思いたい。今度はだいぶいいような気がしている…と、毎回思っているのだけど、本当に今度こそは納得したい。本当に面倒くさいことばかりしているなと自分でも思う。ものすごく不器用だし、効率が悪いし、本気でしょうもないと思う。とにかく自分の性能が悪い。能力が低すぎる。低いからこそ、人の10倍くらいやって、ようやく人並みだろうなとは思うのだけど、それにしてもちょっとは基本性能を上げたい。まずは、考えて動ける人になれば楽なんでしょうけどね、少しは。ああ、楽したい!さー今日も一日を始めるぞ!

open.spotify.com

 

よくできすぎです

「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」を見た。

2回目。まさか2回も見るとは思ってもいなかったんだけど、行ってしまった。2週間前まではちいかわの「ち」の字もしらないほどのビギナーで、あ、「ち」は知ってたな、なんかちいさくてかわいいやつでしょくらいの、ほんとにそれくらいの知識しかなかった。そんな人間が2回目行く理由は単純で、半分は入場特典のシールが欲しかったから。そしてもう半分は、初回あまりにも困惑しすぎて、飲み込めてなかったところが大きかったので、もう一回ちゃんと見てみようと思ったから。ほんと、初回見に行ったときは、ちいかわの世界観を全く理解してなかったので、鎧を着てるあの気味悪いのは何なの?とか、作中でキャラクターの名前を呼び合うこともないので、どれがちいかわ?こちいつの名前は何?え?しゃべるのとしゃべれないのがいるの?討伐?戦うやつなの?かわいいをめでるだけの映画じゃないの?何?けっこう怖いこと言ってるけど、そういう話なの?って、面白がるというよりは、どこに連れて行かれるのかさぱりわからない困惑の方が勝ってしまって、それこそエンドクレジットが終わるまで、これはなんだかとっても怖い話なんだな、かわいいじゃないんだな、ってぽかーんととしてしまって、面白かったというよりは、突き落とされた感じが大きかった。その意味では、その体験は本当に口コミの情報すら何にも触れていない初日のピュアピュアな自分でしかできない体験で、いちばん貴重な体験だったなとは思ってるんですが、ただ戸惑いすぎてきちんと拾えてないなった部分が大きかった気がしたので、2度目のトライをしてきたわけです。「ちいかわ」がどういうものかだいたい掴んで、キャラクターの特性なんかもある程度理解してから見るセカンドちいかわは、インパクトこそ一度目には及ばないものの、冷静にじっくり見て純粋に映画としての面白さにはしっかり触れることができた感じはありました。なるほど最初に島に着いたところで船酔いでぐったりしてて「炭酸」が欲しいと言うセリフに、頭に葉っぱのある島民キャラのヒトハとフタバがビクってなるのとか、こんなの初見じゃわからんですよね。知った目で見るともう最初から島がすでに不穏だし、だいたいちっぽけな報酬で危険なことを外部の者に依頼してたり、そこかしこに闇を感じます。結末については大事なワンシーンのアレを見落としていて、セイレーンの「わかった」の意味が理解できてなったのとか、相変わらずザルな自分の観察力を呪いたくなりました。いや、2度目見てとかったです。純粋に楽しめた。でも一度目の何も知らない状態で見たあの困惑はもう二度と体験できないものなので、「何も知らず見に行く」というのは、すごく今の世の中的には貴重な財産になりうると思います。いやでもSNSで情報が入ってきちゃいますからね。だからできるだけ早く行くってことにはそれなりの価値があると思います。それにしてもこの内容をヘタに子ども向けにアレンジなどせずきちんとパッケージして、おそらくネットに上がるであろう考察や口コミまで計算して大ヒットさせているマーケティング力のうまさにはうなります。そして何よりすごいのはノベリティです。第一弾のミニチャームといい、第二弾のぷくぷくシールといい、クオリティがハンパないです。劇場入場特典でつくおまけのレベルを超えてます。こういう「おもてなし」の部分にも作り手の手抜かりのなさが現れますよね。これは作品もですが、マーケティングまでふくめたパッケージがよくできた作品だと思います。感服です。

www.youtube.com

ふかみとうまみ

「レンタル家族」を見た。

上映1週間の予定が口コミでロングランしてて毎回満席というウワサを聞いて見に行った。結論からいうとすごくよかった。認知症と疑似家族がテーマで、だからエンタメ映画的な爆発をするかわからないけど、入口にはチケット売り切れの札があり、見る前から劇場ロビーに人が溢れかえって、この熱気は同じ劇場からとんでもないヒットとなった「カメラを止めるな」を思わせるものがあって、少なくともここから大きく羽ばたく作品になりそうな力を感じた。見終わってから知っところによると制作費400万円、スタッフ10人、撮影10日間で撮り切ったっていう、ほぼ手作りみたいな規模の映画らしい。ただ、それをまったく感じさせない、実に上品で深みのある映画だった。まず演出が上品でうまい。たとえば冒頭の社内で打ち合わせしている人物をガラス越しに撮ってたりするカット。予算の限られた中で撮影場所だって選べないだろう中で、素人っぽい絵をうまく回避していて、こういうちょっとしたところからして、とにかく見せ方がうまい。人物の設定も一切セリフで説明しない。「認知症」である母の見せ方もうまい。おそらく認知症という言葉を劇中で使ってない。日常の中の違和感や、やりすぎない小さな行動のバグでそれを見せる。人物のバックグランドも台詞で語りすぎず、ドラマの流れのなかからちゃんと浮かび上がらせてくる。主人公は仕事はできる女性で、でも家庭はうまく作れなかった人。認知症の母を抱えてて、元夫や娘ともどこか距離がある。仕事では評価されるのに、人生の孤独だけが埋まらない。そんな彼女が出会うのがレンタル家族で、つまり相手が誰かも本当は知らない他人同士が、お金で買った時間で区切られた家族をやるんだけど、その買った時間の家族のほうが、本当の家族以上に安らげたりする。演技のはずなのに、そこにちゃんと家族の温かみが生まれる。でもそれはあくまでかりそめのものでしかないという現実もやんわり残す。ようは踏み込みすぎないからこそ安心でいられるというあくまで「仮のもの」「借り物」である側面を担保している。で、見ながらもうひとつ面白い感覚があって、劇中で家族をやってる彼らって設定上、本物じゃない人たちが家族を演じてるわけだけど、いずれにしろ本物じゃないからしょせん演じてるということ自体は、観客からしたら同じものなんですよね。映画の中では「疑似家族」であることは変わらない。スクリーンの中の家族も観客にとっては最初からフィクションでしかない。そう思うと、本物の家族とレンタル家族を分ける境界って、映画の中でも外でも曖昧なんですよね。本物か嘘かなんて、どっちでいいじゃん、なんですよね。そんなメタっぽい構造をぼんやり考えてた。で、このテーマだけ見たらいくらでも泣かせる映画にできそうなんだけど、そこを過剰に盛り上げることもしないし、かといって冷たく突き放すこともしない。だから大きなカタルシスを持ち帰るんじゃなくて、「家族ってなんだろう」「つながりってなんだろう」っていう問いが静かに残る。上坂龍之介、これが初監督とは思えない。映画の先に続く人生を感じさせる映画になっていた。成熟した映画の深みを感じた。唯一ちょっと気になったのは、タレントの子役とレンタル業を掛け持ちしてる女の子のエピソードで、そこだけ少しドラマとして作られすぎてる印象があったかも。ただほんと、予算なんか関係ない映画の可能性を感じさせる一本でした。惜しまれるのは予定ぎっしりで見に行ってしまったので、上映後の舞台挨拶が見れなかったこと。悔やまれます。本当に。

www.youtube.com

 

 

すまほじゅうでん

「インビジブルハーフ」を見た。

低予算の日本ホラー。イットフォローズとJホラーを足したような世界観で、ときどき「お! いいねー」と心を掴まれる瞬間がある。一番好きだったのはオープニングで、校庭でなにかが起きてて、クラスメイトたちが窓からそれを見つめてるんだけど、その見てる姿だけを映して何が起きてるかは見せない。長回しのまま呆然と眺める主人公に少しずつカメラが寄っていくのに合わせてオープニングのクレジットが出る。この「見る」まなざしをじっくりみせる感じがめちゃくちゃかっこよくて、うわーこれは何かすごいものが見られそうだぞ、って期待が一気に高まる。こういう演出に出会えるだけでも映画を見る価値あるよなー、と思う。で、これは「見る」「見られる」についての映画でもあって、主人公はイギリス人と日本人のハーフで、どっちにも完全には属せない居心地の悪さを抱えている。他人からどう見られるかを過剰なくらい気にして生きてる。転校先のクラスにも馴染めないんだけど、そのクラスにはもう一人、主人公とは別の意味で「異物」として見られてる子がいて、その子は親に付けられた名前が猫娘(ニャン)という、まわりから笑われる名前のせいで孤立してる。そして彼女は常にイヤホンをしてて、スマホを手放せない。そのスマホ依存が過剰すぎるのだがそれはある呪いのせいでっもある。そのコンプレックスが具現化したみたいな呪いを、主人公が引き受けてしまう。きっかけはクラスメイトの悪ふざけで、ニャンのスマホが主人公のカバンに入れられて、そのまま持って帰ってしまう。スマホをなくしたニャンは命を絶ってしまう。これネタバレになるけど、そのスマホに宿ってた呪いが主人公に移る。姿の見えない何かに追われる恐怖なんだけど、その存在はスマホに触れてるときだけ見える。だから逆に、身を守るためにはスマホを手放せなくなる、という。イットフォローズは、誰かがゆっくり近づいてきて追いつかれたら死ぬ、という映画だったけど、そこに「見えない」っていうJホラー的なスパイスが足されてる。そしてこれは「概念」をそのままホラーにした映画でもあって、スマホが手放せないこと、他人の目が気になって仕方ないこと、常に誰かに見られてる気がすること、そういう現代的な感覚をかなりストレートに怪異として可視化している。意図的なのかどうか判断に迷うくらい説明的だったり、でも呪いのルールがいまいちよくわからなかったり、怪異が異常なくらい遅かったり、恐がれるかどうかは微妙なんだけど、ホラー苦手なわたしには優しい映画になってました。クライマックスの対決は充電切れとの戦いがちょっと笑えたりたりもして、そんなチャーミングさもよかった。完成度が高いかというとわからないのだけど、でもいい絵がたくさんあって、スタイリッシュさは貫かれている。監督はまだ20代前半で、もともと「スマホラー!」っていう縦型のスマホホラーで注目された人なんだとか。なるほど、スマホが手放せないは、この人のど真ん中のテーマなわけだ。人生を賭けて作ったというその熱量は画のあちこちからちゃんと伝わってくる。で、なにより、ホラー苦手なわたしでも安心して見られる、なかなか雰囲気のある一本でした。

www.youtube.com

じゅうにけるした

「Michael/マイケル」を見た。

劇場で見るのはこれで12回目。よく考えたらふつうの「通常上映」で見たことがなかったので、─前回は音声解説付きで見たので─ふつうの通常上映を見に行った。見てきたのは横浜ムービル。昔からある映画館。しかも来月には閉館が決まっている。子どもの頃から通っている映画館でマイケルを見るという、そういう思い出作りが半分と、あともう一個大きな理由は、先週、立川に見に行って、そのときもらえなかった入場特典第5弾を手に入れるため。そんなのいつでももらえるでしょ、とたかをくくっていたら、のきなみどの劇場も配布終了。あら、これはもらえない?と思ったら、ムービルの劇場情報には配布終了の文字がなかった(ちなみに「ちいかわ」とか別の映画には配布終了があった)ので、これはもしかしたら、ここならあるのではと思って、いざムービルへ向かって、平日午前中の回を見てきたのですが、入場特典の配布は終了していました。記載がなかっただけでした。ちと残念な気持ちにもなりましたが、映画が始まってみれば、特典なんて小さなことは頭から消えて、またひたすら12回目マイケルを存分に浴びてきました。驚いたのは客の入りです。もう公開して2ヵ月が経って、しかも平日の午前中の回なんですが、満席まではいかないけどかなり席が埋まってました。そして夏休みだからなのか、やたら若い10代の観客がかなり目立ちました。年配層と十代が半々くらいの印象でした。ロビーですれ違った70代は過ぎた感じの男性が「映画なんて何十年ぶりだろう」というような話をしていて、そんな人を劇場に呼ぶ力がある作品なのかと嬉しくなって、帰り際に同じ人かはわからないけどやはり年輩のお客さんが、劇場のスタッフに「大変面白いものを見せていただきました、ありがとうございました」と頭を下げているのを見て、涙が出てきました。若さあまった10代の女子達のグループは、終わると同時に「ヒーヒー」「アウ!」って、みんなで大きな声で叫びはじめて元気良すぎじゃない?と思ったりしましたが、わたしの前に座っていた10代男子が、上映中もずっと離れて座っていたその元気な女子グループが気になってちらちらと横目で見ていたりして、別々で来てるけどじつは同じ学校だったり、もしかして夏休みの青春ドラマ的な何かが映画のあと始まるんですか?みたいに勝手に妄想したりして、やっぱり映画館ってステキな場所だななんて思ったりしました。それで12回目マイケルですが、帰り際のロビーでも泣きましたが、ラストのBADでもわたしは泣いておりました。12ケル目でも泣けるすてきな映画です。それで前回気になったマイケルの家の暖炉の上の写真ですが、少年?と思ったらどうも少女の写真のようでした。帽子をかぶった少女の写真。で、ちょっと思ったんですが、これ、最初のガールフレンドだったテイタム・オニールだったりしませんかね?似てると言えば似てるような…一瞬しかうつらないので何の確証もないし、そもそもクレジットがないので違うとは思うんですけどね。ま、でもこういうウォーリーをさがせみたいなことができるのも12回見ればこそな気がするので、やっぱり楽しいです。第5弾がもらえなかったので特典コンプはできせんでしたが、まだまだマイケルしたいと思います!次はどのMichaelにしようかな!

www.youtube.com

テイタム・オニール、帽子は違うんですけどね、似てるような…うーん

 

おそろしきくうき

「開戦前夜」を見た。

予想をはるかに超えて面白かったし、何より考えさせられた。圧倒的「空気」を描いた映画だった。以前「空気の研究」という本を読んで、日本が第二次大戦の開戦に踏み切った当時の「空気」について、なぜそれを止められなかったのかが書かれてて、そこに水を差す勇気がなぜ生まれなかったかみたいな話に納得していたけど、映画を見て何よりも感じたのは、その空気がより圧倒的だったということだった。まず戦争に踏み切る直前にこのような機関があって、実際戦争になったらどうなるかを日本の優秀な頭脳たちが正確なデータをもとにシミュレーションしていたという事実に驚く。これは実話らしい。すごいのは、計算をはじめてすぐに「勝てるわけがない」という結論にいたることだ。あり得ない戦いであることを数字が導き出す。しかし軍部は動きはじめている。そこに生み出された空気は、数字より強い。主人公は最初こんなごっこ遊びのようなシミュレーションは適当にやり流そうと考えている。しかしその数字に唖然とする。そして本気で戦争を考えている軍部に対し、え?マジで言ってんの?ってなる。ちょっと関係ないけど見ていて思い出したのは飯塚事件の裁判を描いたドキュメンタリー映画だった。女児殺害の罪でDNA鑑定の結果のみでほぼ証拠などもないまま逮捕された男が、異例の早さで死刑になっていくのだけど、彼が思っていたことは何もしてないのに、つまりあまりに「バカらしい」ことだから、すぐに釈放されるということだった。だってやってないから。証拠もないし、すぐ帰れるだろうと思う。えらい人が間違えるわけないと。それに似てるなと思った。戦争するのは数字だけみたらあまりにバカらしい、そんなことを国がするはずがないと思う。でも実際日本は戦争に向かっていく。そんな空気になる。いつの間にか疑うことすら許されない空気になっていて、数字も事実もその空気に合わせてねじ曲げられていく。そうした空気に抗う天才たちの戦いが前半だ。ここでの敵、空気を生み出す象徴として軍のトップ東條英機が描かれる。彼はまさに、この巨大な空気を体現する「ビラン」に見える。ところが後半、物語はその東條英機の側へと視点を移す。彼は本当に悪そのものだったのか。何を考え、何に追い詰められていたのか。見方が少しひっくり返る。もちろん事実は決まっている。日本は戦争に向かう。でもビランに見えていた男が実は何を考え、何に支配されていたのか、そこに怖さがある。それこそ本当に空気を生み出していたのは誰かということだ。つまり、東條英機でさえ、その空気の中にいる一人だった、ということだ。さらにこの映画は「なぜ日本は間違った道に進んだのか」だけで終わらせない。「もし進まなかったら、その先に何があったのか」という、選ばれなかった未来を想像させてくる。そして80年以上前の日本を描きながら、今の私たちにも問いを突きつけてくる。キャスティングもすごく良かった。すごい豪華キャスト。みんなよかった。そしてほんの短い登場なのに、昭和天皇を演じた松田龍平には何とも言えない説得力があった。NHKで昨年やっていたドラマらしいけど、これは劇場でじっくり鑑賞して正解な映画でした。

www.youtube.com