おそろしいせいぎ

「正義の行方」を見た。

正義の恐ろしさを痛感する映画だった。飯塚事件の真相に迫るドキュメンタリー。これは私たちの羅生門とコピーにある。そういう映画だ。ひとつの事件を警察、報道、弁護、3つの視点から俯瞰する。異なる真実が存在する。決定的なのは犯人とされた男が不在であるということだ。彼は沈黙したまま、いや最期まで自分は犯人ではないと訴えながら、死刑に処されている。彼は本当に無罪なのか。唯一そのことを知ってる者がいない。当事者不在生の状態で再審請求が出される。つまりそれほどこの事件の証拠能力があやふやなのだ。事件が起きたのは1992年。男が逮捕されたのは、当時導入されたばかりのDNA判定結果と車を見たという目撃証言のほぼこの2つ。状況証拠しかない。これをパズルのように組み合わせてひとつの物語にした警察。そしてそのことをそのままスクープ報道した新聞社。終始無罪を主張する容疑者と弁護団。この構図「犯人はそこにいる」の足利事件と同じだ。そして作品内でも足利事件の話は出てくる。こっちの事件はえん罪だった。決定的に違うのは当事者が死刑に処されていることだ。30年近く経って、当時真っ先に報道記事を出した新聞社があれは間違いだったのでは?と徹底取材を始める。ここにかすかな希望を感じる。いまになって分かる事実がある。ただもう真実はわからない。明らかにおかしなことろはある。えん罪にしか見えない。ただ本当に彼が犯人なのか知っている唯一の人はもういない。みんな自分の正しさを訴える。これこそが正しいことだと信じて捜査し、逮捕し、それが報道される。正義の名の下に作られた物語に一度乗ってしまうと、もう抗うはできない。犯人であるという現実が発動する。ものすごく怖いものを見た。

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