ふつう、じゃない

前回、わざわざ恵比寿まで足を運ぶも思ったよりも早い閉館時間で入れてもらえなかった都写美に、今回はかなり早いタイミングで時間を作って行き、余裕を持って写真展「見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20」を見てきた。1時間以上たっぷりと写真を見た。新進作家、きっとひとりも知ってる人はいないだろうなと思いながら見ていたら、4人目がよく知ってる人で、しかもわたしより年上の人で、新進というよりベテランでは?と思ったのだけど、50を過ぎて新進というカテゴリーに入ることはとても素晴らしくうらやましいことでもあり、何にせよ星さん「おめでとうございます」が真っ先に言いたくなる展示だった。星玄人さん、最近はお見かけしないけど、夜のゴールデン街でよく会う人だった。物腰は柔らかいんだけど、怒らせたら殺されるなという圧倒的な怖さを持った人で、こういう人を怒らせたら絶体にダメだと見た瞬間に分からせてくれるすごい人だ。でもほんと物腰は優しくて、だからこそ撮れる世界がある。夜の街を撮る。東京、横浜。そこに「普通の人」はいない。どこか壊れてて、いや完全に壊れてて、で、生きてる。しっかり生きてる。それを感じさせる写真。階段に座ってだべる、道に座り込んで手鏡を持って自分の顔を見る、店先に立ったおばさんがこっちをみている、マスクにサングラスのおじさんが道ばたに倒れて寝ている、生きてる。人が生きてる。おかしな人たちが生きてる。総じてこの展示「普通の人」はいないということを感じさせる写真が多かった。淵上裕太の写真。上野公園で撮られた人物。すべて上野公園の写真。彼は24歳で彼女に捨てられ孤独の中で写真を学びはじめたという。人を求めて、上野公園に行く。そこにただ「いる」人にフォーカスをあてて、切り取る。そこに表出する圧倒的なパーソナリティ。大勢の人の中に「その人」が表出する。これが写真の力だ。そこにきちんと「その人」が写りこむ。恐らく自分が上野公園に行っても気にとめないような人にフォーカスする。そこに表出する「普通」じゃない圧倒的な個性。面白い。壁一面にコラージュされた写真の断片もすばらしい。これは公園という空間そのものだ。展示の手法で言えば夢無子の写真もよかった。プリントではなくプロジェクターでの投影による展示。戦争が始まったウクライナに行き戦地を撮った写真と、そこで書き留めたメモが交互に映される。「普通」だったはずの日常が、戦争というあらがいようがない暴力で一瞬で破壊される。その現場を見に行く。自分が圧倒的な他者であることを自覚した上で、なぜそこにいくのか、そこで何を感じたのか、自問しながら、ありのまま感じたことを吐露していく。桜が咲く、桜が咲いたから見に行く、戦争が起きた、起きたから見に行く、それが同価値として語られる。日常だって、普通で、普通ではない、そんなことを感じさせる写真の連なりだった。見終わって、恵比寿の駅前で、立食いそばを食べながら、この日常を大事にしようと思った。

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