しんそうはやぶの

「落下の解剖学」を見た。

最後までわからない映画だった。わからない。でも、この「わからない」ことこそ、この映画の主題なんだと思う。150分ある法廷劇。話自体はすごくシンプル。舞台は夫婦と息子が暮らす山荘。転落死した夫。家に居たのは妻だけ。事故で失明している息子が第一発見者。これは事故なのか殺人なのかそれとも自殺なのか。法廷でさまざまな憶測が繰り広げられる。そして少しずつと家族の事実が明かされていく。小説家になりたかった夫。その作品のアイデアを使って作家になった妻。夫はフランス人、妻はドイツ人。家では英語で話している。夫婦仲の不調和が浮かび上がる。裁判はフランス語で進められるが、被告である妻は、フランス語がうまく話せないため途中から英語で証言する。しかしその英語もそもそもの母国語ではない。真意の上にフィルターがかかっている。事件の真相のいちばん近くにいた息子は視覚に障害があり見ることができない。誰も真実を見ることができない。憶測と印象だけで事実を推察させられる。いったい何だったのか、見終わってこの事件の真相についてずっと考えさせる。おそらくこうであるだろうという結末にたどり着きはする。ただまったくそうじゃない可能性も考えてしまう。それを考えるともう一段この映画が怖くも思えた。たぶん考えた真相は間違っているのだろうけど。でもおそらくそんな観客の反応までふくめ作品の一部となっている。そういう映画だと思った。真実を知るのはもしかして犬だけ?

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