ぶれぼけあれです

月に一度、写真展へ行く日だった。そんな日に限って雨だ。ずぶ濡れで神保町から竹橋の東京国立近代美術館まで歩いた。写真展「中平卓馬 火―氾濫」を見る。中平卓馬、名前は知っている。写真も見たことはある。でも詳しくは知らない。ブレボケアレの人だよねと知ったかぶりするくらい。もとは編集者だったらしい。編集を担当していたページで自身の写真が掲載される。採用したのは東松照明だという。はじめからしてもう撮っているものが違う。初めて発表した写真として展示されていた辻堂団地の写真。下半分が真っ黒で、上は真っ白、その境界に団地群が一直線に並んだ写真。バチくそかっちょええ。その後のアサヒグラフの連載。言葉は寺山修司。街の風景が、人が、なんかもう違う。なんだこれは。考えさせられる。きっと言葉が、哲学が写真の前にある。なぜ写真なのか?なぜ写真でなければならないのか?ずっとその問いかけが続いている感じがする。ただかっちょええだけではない。なぜそうなのかの哲学がある。なぜブレてボケてアレているのか。それが写真にしかできない表現だからだ。写真の写真らしさというのは、ブレること、ボケること、つまり失敗できるということだ。たぶん、いまは技術もあがって、誰が撮っても写真はきれいに美しく写る。今にしてさらに浮き立つ真理のような気がする。そんな面倒くさい思考を巡らされた。見始めた最初のフロアで、10分もしないうちに飛ばされた。パリの青年ビエンナーレでの展示方法の実験性、風景と題した松田政男の評論とコラボした連載、自身の写真論。尖ってる。面倒くさいほど尖りきっている。ただ、70年代後半、酒の飲み過ぎで昏睡状態になり、記憶障害を患う。そこで写真が変わる。とても穏やかになる。日常と題された写真群。世界の断片を切り取りながら、ギラつきが消え、穏やかさを感じた。ただ、穏やかでない内面も垣間見える。それは本人が1978年7月〜2000年代まで綴った日記だ。ノートにメモ帳にぎっしりスキマなく埋め尽くされた小さな文字。定かではない記憶を失わないために必死に書き留めたような、ある意味狂気さえ感じさせるその文字群。時にそれはタバコの箱にまで記録される。いまここを文字として必死に書き留めようとしているようだった。写真と写真家、作風と哲学、そんなものがどどっと流れ込んでくる展示だった。帰りは、久々に竹橋に行ったので、ここは昔通勤していた新聞社がいまもある駅で、その頃毎週食べに行っていた中華の赤坂飯店で、その頃たまに食べていた豚肉と野沢菜の汁麺を食べ、その頃と同じ行き方でゴールデン街に流れて、あの頃からずっと通う飲み屋で写真の話をひとしきりして、深夜に飲まれた。

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