ことばをかえるな

ヒトラーのための虐殺会議」を見た。

見ている間、全身の力が抜けていき、クラクラして吐きそうになる映画だった。味わったことのないような嫌悪感に襲われた。おそろしい映画だった。終わった後の立ち上がれないほどの虚脱感。果たしてこれは人間の会話なのかと思う。ただしかし、そこで話あわれていることは、言葉だけを聞けば、ただのビジネスの会議のように聞こえる。とても恐ろしいことが話しあわれているとは思えない。だからこそ恐ろしい。議題は「最終的解決」についての話し合い。「最終的解決」とは何か、暗黙の了解でその場にいる全員が分かっている。虐殺による民族の殲滅のことだ。しかし「最終的解決」という言葉を使うことで、その恐ろしい現実を煙に巻いている。言葉を作ることで感情を奪う。思考停止だ。優先すべきは「効率化」で、工程を「簡素化」すること。そんなビジネスライクな言葉にこの会議は支配されている。まるで本当にビジネス会議のようだ。「目的」のためにより効率のよい方法を考え出し、最適な方法を選択し、決定する。史上最も残忍な決定はこうしてされた。自衛のため、安全のために、危険な民族を殲滅しなければならないのだと言う。法律を変えることはできないが、解釈を変えればそれは可能だという。どこかで聞いたことのあるような話だ。恐ろしくおぞましいことは、恐ろしい顔をして行われるわけではない。何でもない顔をして行われる。自衛のため、安全のため、人道的最善策という名目で、良きこととして、言葉を変えて、概念をねじ曲げて、極めてビジネスライクに決定されていく。最後に決裁者が、内容が分からないように難しい言葉で報告書をまとめておくように言う。なぜ公文書の表現が難しいのか理由がよくわかった。

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