ぱんふがうりきれ

「PLAN 75」を見た。

恐ろしい映画だった。75歳以上の人間に与えられる死を選択する権利。ようするに現代の楢山節考だ。ただあんな悲哀というか揺さぶりはない。この映画が恐ろしいのは描かれているのが実に淡々とした日常であるということだ。普通に現代の風景を描いている。とんでもない事態は、とんでもない顔をしてはやってこない。ふつうにいつの間にか生活の中に入り込んでくる。通りの良い名前が付けられて、あたかもいいもののような顔で平然と現れる。でもそれは単なるシステムとしての殺人であり、虐殺だ。作り上げられた殺人のシステムの中で、運営する側は普通に働き、普通に暮らしている。システムの中にいる人たちにとってはそれは単に仕事で、何なら良きことをしているとさえ思っている。簡単に人はアイヒマンになっていく。これは何だろう。劇中で出てくる献血手帳のエピソードが印象的だった。仕事で全国を駆け回った男性が、各地で献血をしてその土地の記録を献血手帳にずっと記録して残していて、その束がその人の生きた証になっていたのだけど、それが近年いつの間にかデータ式のカード1枚になってしまって、味気ないただのデータになってしまう。これは便利さ効率化を目指して失われたものの象徴ではないか。効率的かどうかで判断すると不要なものは省かれていく。効率化の行き着く先の制度がまさにこの映画で描かれるシステムだ。淡々としたいまそこにあるふつうの地獄。恐ろしい映画でした。

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