いれかわったまま

「君の顔では泣けない」を見た。

今週はまったく映画に行けない怒濤の毎日だったのだけど、金曜の夜だけは、どんなに忙しくても、仕事が途中でも映画を観に行ってもいいし、そのあと飲みに行ってもいいというマイルールがあるので、昨日の金曜の夜、久々に映画館に行ってきた。今週ブログに書いてた映画の感想は週末にまとめて見てきた映画の感想なので、実質今週はこの映画一本しか見れていない。そんなご褒美的な映画。この映画、設定一発で「見たい!」と思う映画だった。高校生の男女の身体が入れ替わる、同級生でも君の名はでもいいんだけど、いわゆるよくある「入れ替わり」もの。設定自体は、よくある…って、そんなことがあったら大変なんだけど…その入れ替わった状態のまま、一度も戻らずに15年経ってしまったら…っていうのが新しい!そんな映画。いや、これは完全に設定勝ちでしょう。そんなん見たい!って思うじゃないですか。15歳で入れ替わって、30歳になった2人からはじまる。会うのは客がほとんどこない喫茶店。ここで定期的に会う日を決めて2人はずっと会っている。日常では、ふつうの男女として生活しているから、会話自体もふつうにはじまる。でもところどころで、元の自分が出てしまう。「出てるよ」って言われて、言葉遣いが元に戻っていると自覚する。2人でいるときだけ、元の性別の言葉遣いになることがわかる最初の会話シーン。これよくわかる。わたしも長崎の親戚の人と話すときだけ、長崎弁が出てしまってイントネーションが変わる。ふだん全く出てこないのに、そのときだけ全然違う発音で自然に話している自分がいて、人に指摘されてはじめて長崎弁でしゃべってるのに気がつく。あの感じに近いんだと思った。中身が入れ替わった男女を演じる主演の2人の演技がとにかく見事だ。主演の芳根京子は土屋太鳳と出た「累 -かさね-」あたりから、演技の化け物と思っていたけど、今回もすごい。過剰に男っぽい演技をするのではなく、それは極力抑えつつ、でもなんだか違和感を自然に外に出してくる。監督は「Arc」での演技を見て決めたと言ってたけど、年を取らない不老不死の女性を演じたあれもすごかったし、今回もやっぱりとんでもなくすごい。一方の髙橋海人は昨年のドラマ「95」がすごく印象に残ってるけど、「だが、情熱はある」の若林正恭役もこの人だったと思い出して、繊細さがじわっとにじむ人という印象。今回は今までにも増してそれがよく出ていた。中身が女性のナナミで、身体がリクって男性なわけだけど、見ている間、ずっとこの中身のナナミが見えてくるようで、それが切なすぎて…終盤でその心の内はわかってくるんだけど、前半からずっと、なんとも言えない感じが、子犬みたいな目の奥に宿ってる気がした。高校時代を演じた武市尚士もふくめて、多くが語られない分、ある日目覚めて男の子になって、暮らしぶりや、家族の関係や、将来に抱いていた希望や、直接は描かれなかった余白の部分を想像して、たまらないほど切なくなった。元に戻りたいって願望がすべてだった若いときを経て、15年の苦悩の末、自分とは違う体で15年の人生を生きて、突然もとに戻れるかもしれないその方法が分かった聞いてからはじまる葛藤。本当の自分とはなんぞ?ってことを浮かび上がらせる話だけど、外側と中身が違う自分で生きるってある意味で普遍的なテーマでもあって、これはいろいろ考えさせられるいい作品と思いました。あ、どうして入れ替わったかを調べるために借りてきた図書館の本が恐らく架空本でしたね。いつかチェックしようと思います。

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